近畿日本鉄道時代の養老線(現:養老鉄道)には、過去近鉄の本線系の車両が改造されて入線してきた。
そのサイクルはまちまちだが、近年では平成4年から6年にかけて現在の600〜620系列が入線し、それまでの吊り掛け車421・431・441系列を一掃した。さらに、平成17年4月からは、旧近鉄標準色「マルーン1色塗装」化が行われ、現近鉄標準色の赤白ツートンも過去帳入りとなる。
また、電気機関車も在籍していたが貨物営業の廃止に伴い、平成12年のデ31・33を最後に消滅した。そんな養老・揖斐線でここ数年うち、活躍した懐かしの車両たちをご紹介する。



 入線間もない頃の602F。方向幕準備中で系  元1803Fだった613F。2両での運転を前提
 統板を使用していた貴重なシーン。        にモーター出力も若干落とされている。


 サイクルトレインに充当された624F。円形の  夕暮れ時のク531。 ラビットカーの残党
 標識板が掲出される。                元モ6850を電装解除した増結用の制御車。


 元特急車の6421系423F。転換クロスシー  元特急車の6431系431F。こちらはロング
 トを装備した人気車両だった。           シート化されたが側面2連窓が美しかった。


 元6441系の増結車ク546。以前の養老線  さよなら運転に充当された431Fと424F。い
 の主力車両として20両が活躍した。       よいよ旧型車同士の交換も見納め。


 同じくさよなら運転時のショット。新鋭601Fと  凸形電機のデ25。10年ほど前までは定期
 交換。マルーン一色塗りもこれで消滅。     貨物仕業も存在した。これも定期運用時の姿。


 ミカン畑を走るデ31+33。貨物廃止後はラッ  秋の濃尾平野を走る重連電機。最後まで残っ
 セルの臨仕業のみが仕事となった。        たデ31と33にもいよいよ終焉が近づいてきた。




平成12年11月、いよいよ養老線電機に最
後の日が訪れた。デ31と33はさよならヘッ
ドマークを付けて秋の養老線を快走した。
いつの日か、タキやワムなどを牽いた現役
の頃を思い出していたに違いないだろう。
貨物列車を牽いていた姿も、深夜にスノー
プロウをつけて果敢に雪の中を突進してき
た姿も皆、思い出となったが私はその姿を
決して忘れることはない。さよなら電機達。



美濃本郷駅長の貨物列車を見送ったあの日

  あれは忘れもしない、私が小学生2.3年の頃の話だ。当時、大垣〜揖斐間には昼間に貨物が1往復走っていた。ダイヤは11時〜14時にかけて、大垣から揖斐までを往復するダイヤだったと記憶している。ところがこの貨物は休日運休だったため、学校がある平日は見ることができず、私は毎土曜日ごとに大垣へ帰る復路の貨物を美濃本郷駅のホームで見ていた。美濃本郷の通過は13時ちょうどだった。私は週に1度、通過していく貨物を見るのがとても楽しみだった。ところが、いつの頃からかその貨物は来たりこなかったりしはじめた。しかし私は貨物が来ることを信じて毎週駅へと通った。
  とある土曜、私はいつものように駅のホームにいた。その日は13時きっちりに踏切が降りた。「今日は貨物が来るっ!」と、現れたのは箱形のデ12+凸型のデ62の重連、そして後ろにワムとワラが2.3両ぶら下がっていた。それまで単機ばかりで重連なんて見たことがなく「今日は珍しいな〜」なんて思っていた。ところがさらに驚いたことは、通過するはずの貨物が私の真横にぴったりと止まったではないか、そして一呼吸あって、ポ〜、ポ〜っと2台の機関車が汽笛を鳴らしたかと思うと私の前から走り去った。呆気にとられた私はしばらくホームで列車をただ見送っていた。
  次の週、貨物はこなかった。いや、それ以後、いくら待てども貨物も機関車も現れることはなかった。あの日を境に貨物を見たことは全くなくなってしまったのだ。今から思えば、きっとあの日が貨物の最終運転日だったのだろう。はなむけに重連を運用に入れたのかどうかは定かではない。しかしあの日、あの重連貨物は私の前に止まったのである。きっと毎週貨物をじっと見ていた幼い私に、機関士が最後だからと、わざわざ荷扱いのない美濃本郷駅のホームの私の真横にぴたりと停まり、汽笛2発でさよならの挨拶をしていったに違いない…と、思うのは私の考えすぎだろうか?私の心の中で、いまだあの重連貨物のことは謎であり、夢物語である。
  でも、きっとあれは私へのあいさつに違いなかったと信じている。幼き日の夢を…ありがとう機関士さん、ありがとう貨物よ。




 番外編 大井川鉄道へ譲渡された421系

                           撮影:ゆうづる100号氏(2点とも)

近鉄揖斐・養老線で平成6年まで活躍した、名古屋線もと特急車の6421系(→421系)
のうちトップナンバーである621-571の2両編成が養老線での現役引退後、大井川鉄道
へ譲渡され、現在でも活躍している。
ただし、同時期に大井川鉄道へ入線した同じ近鉄の16000系(南大阪線特急車)、南海
の21000系(高野線ズームカー)、京阪の3000系(テレビカー)と比較すると、この421系
が唯一釣り掛け車である(他車はカルダン駆動)ことや非冷房車である(他車は冷房車)
ことなどが災いし、稼働率は大変低く、ほぼ予備車的な存在となっているのは残念である。

稼働率は低く、なかなかお目にかかれない存在となってはいるが、数少ない近鉄旧型車
の貴重な生き残りだけに、末永く活躍してほしいと願うばかりである。

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